武藤(カメラ) でも、志の輔師匠(※7)は明大の落研の先輩では? 志ら乃 そのころはちゃんと落語をやっていたと思います。時代によって違います。 ――そのころから落語家になりたいと‥。 志ら乃 全然思ってないです。当時、田辺エージェンシーが主催するお笑いの大学選手権みたいな「冗談リーグ」(※8)というのがあって、2学年上のラーメンズや、今のエレキコミックのメンバーが(それぞれ別の相方と組んで)活躍していたんです。私も一緒に裸で走り回ってた落研の仲間と組んで出場していたんですけど、全然追いつきませんでしたね。 3年のときにうちの師匠が素人向けの落語塾「らく塾」を始めたので、「これだ!」とすぐ入って、本格的に落語をやり始めたんです。 ――「落語のピン」にはまってから、寄席に通ったりしたんですか? それとも「落語のピン」から「らく塾」へ一直線? 志ら乃 そうです。寄席とか全然行ってません。 ![]() |
―――卒業前から入門しようと決めていたんですか? 就職活動は? 志ら乃 一秒もしてないです。卒業論文を落とすと卒業できなかったんですが、(担当教官が)「落語家になるんだろう? かわいそうだから可をつけとく」と。 卒論を出したその足で「らく塾」に行って、ちょうどエレベーターを待っていた師匠に「弟子にしてください」とお願いすると、師匠が「来ると思った」って。親と面談して、入門金を払って正式に入門しました。 ――入門金はいくら払うんですか? 志ら乃 知りたければ、入門してください。 ――ご両親の反対はなかったんですか? 志ら乃 なかったですね。母は亡くしていましたが、父は「自分のやりたいことが見つかってうらやましい」なんて言ってましたよ。 ――すぐに前座生活に入ったんですか? 志ら乃 私はかなり早かったと思います。1ヵ月で名前がついたし、初高座が正式入門の1ヵ月あまり後、師匠の国立演芸場の独演会の開口一番ですから。入門して2ヵ月後ぐらいですか、「食えないな」と気がついたのは。何とか食えるようになったのは、2003年に29歳で二つ目になったころからですね。 ――二つ目昇進のときは家元の試験を受けたんですか? →続き
|
←back | 1 | 2 | 3 | 4 | next→ |
二つ目さんインタビュー目次 |
TOPへ戻る |