立川流一門の中で、真打に最も近い孫弟子の一人と目されている立川志ら乃さん。志らく門下では弟子のまとめ役を務め、幅広い分野に多才ぶりを発揮しつつ、独演会にも意欲的に取り組んでいます。落語との出会い、落研時代や二つ目昇進試験のエピソードを振り返りながら、落語への想いをお話いただきました。(撮影:武藤奈緒美) |
(※志ら乃師匠が二つ目時代の2009年6月のインタビューです)「中身がない企画で名前を売ろうとした時期も |
――落語に興味を持ったきっかけは? 志ら乃 「落語のピン」(※1)です。子供のときからお笑いが好きだったけど、落語は全く興味なかった。小学生のころ好きだったのはドリフ。一度、抽選に当たって公開収録に行ったことがあるんですよ。当時はトシちゃん(田原俊彦)なんかが出ていて、会場の周りに「チケット売ってくれ」なんていう女の人がいましたね。 中学に上がるころから、深夜ラジオを聴き始めました。ヘソ曲がりなんですかね、皆が聴いてる「ヤンパラ」(※2)は聴かずに、「関根勤のTOKYOベストヒット」(※3)、「コサキン」(※4)、伊集院光さんの「オールナイトニッポン」(※5)を聴いてました。人生であんなにハガキを書いた時期はありません。大学ノートのネタ帳を作って、そこからチョイスして毎週10枚ぐらい出してましたね。 ――読まれました? 志ら乃 読まれましたねえ。そのうち、お笑いライブにも行くようになって、浅草キッドのネタ下ろしの会とか、江頭2:50が江頭秀晴から改名するときの「江頭秀晴引退興行」とか、マニアックなライブに通いました。友だちとコンビを組んでコントやってみようとしたりもしましたね。 18歳ぐらいまでは落語が面白いなんて思わなかったし、実際(ナマで)観たこともなかった。「おじいさんが一人でしゃべって、どっかんどっかんウケてるなんて、頭おかしいんだ」ぐらいに思ってましたから。それが大学受験の浪人中に「落語のピン」を観て驚いちゃったんです。「落語で笑っちゃったよ!」って。録画したビデオテープが擦り切れるくらい、毎日くり返し観てました。 |
――何がそんなによかったんですか? 志ら乃 う〜ん、落語っぽくなかったっていうか。たとえば、古典のギャグを茶化してみたりね。古典がダメだって言ってるんじゃないですよ。うちの師匠(※6)は戦略でやっていたわけです、テレビに出て笑わせるためにね。そういう熱気が伝わってきたんだと思います。 ――それで大学の落研に。 志ら乃 本の一冊もまともに読んだことがないのに文学部(明治大学)へ進んで、小説のサークルに入ったんですが、これがクソつまらない。それで、明大なら落研があるじゃないかと。入ってみたら、全裸で校舎を走り回ったり、そんなことばかりやってて、落語やってる人なんか誰もいない。→続き ![]() |
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※1 1993年4月から約半年間放送されたフジテレビ系列の深夜番組。レギュラー終了後に単発番組も数回放送された。出演は立川談志、立川志の輔、春風亭小朝、立川志らく、春風亭昇太ほか。 |
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