柳家右太楼さん―3


「噺に”今”を入れることはしないですね。 古典落語の力を信じているので」
柳家右太楼 ――入門はすぐ決まりましたか?
右太楼 先に立川流に入門していた錦魚に師匠の自宅の住所を調べてもらって、お願いに行きました。
 「やめたほうがいいよ」と言われたのは予想通りでしたが、意外だったのは「噺家っていうのは、なってよかったのか悪かったのか、死ぬまでわかんないんだ。丁半博打だ」と言われたことですね。自分の張った目に出てたのか、出ていないのか、死ぬまでわからないと。
 二つ目のころから寄席に出て、NHK(の賞)を取って、18人抜きの大抜擢で真打になって、寄席にもずっと出続けている。うちの師匠は順風満帆、落語界のエリートだと思ってたんです。そういう人の口から出た言葉だったから、意外でしたね。その日は師匠が出かけた後、おかみさんに夕食をご馳走になって帰りました。
 「3日ぐらい考えて、もう一度来なさい」と言われていたので、数日後にお宅を再訪すると、
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今度は「親を連れてきなさい」と。そのまま兄弟子たちの手伝いをして、おかみさんと不動産屋に行って部屋を借りる手続きもすませました。正式な入門は後日、両親を紹介してからですが。
――初日でほぼ決まってたんですね。前回インタビューした林家ぼたんさんも入門は即決で、当時は前座だった右太楼さんが、その場に居合わせたとか。
右太楼 末広亭の前にスーツ姿の女の子が立っているので、真打の先輩が「おまえらのこれ(彼女)だろう、誰だ?」。「僕は絶対、違います!」とか、楽屋はけっこう大騒ぎですよ。
 「(志願者だとしたら)どの師匠だろう?」と話してたら、こん平師匠と一緒に入ってきて。ちょっと意外でしたね。こん平師匠が「明日ここに来て」と何か渡していたので、「あ、あいつ弟子になりやがった!」って(笑)。
――右太楼さんは古典落語のイメージが強いんですが、新作はどうですか?
右太楼 新作はやりません、というか、できないですね。僕自身そういうセンスはないと思うし、
タイプが違いますから。噺に今を入れようとも思わないですね。
――私もけっこう年なので、若い人に比べて昔の言葉は知っているほうだと思いますが、それでもわからない言葉は出てきます。
右太楼 落語の限界かもしれないけど、「わかる人だけ、わかってよ」という部分は、どうしても出てくると思うんですよ。「三一」(さんぴん、※7)みたいな言葉をはずすことはいくらでもできるし、なるべく聴く側に疑問符を与えない工夫も必要だと思うんですが、今を入れすぎて、噺を壊したくないですからね。
 志ん朝師匠(※8)は「船徳」で、「まだ、つないであんじゃねえかよ」「あ、もやいでありましたか、これじゃ出ない」って言い回しをしたんです。噺の世界を壊さないで現在に引き込む工夫ですよね。
 逆に「もやう」はそのままで、時事ネタを入れ込むような演出もありますが、僕は好きじゃないですね。うちの師匠も入れ事(いれごと)はしますけど、噺は壊さないですよ。→続き

柳家右太楼



※ 7 年収が最低ラインの貧乏侍。年俸が「三両一人扶持」だったことに由来。一人扶持の米を換金した「三両一分」を語源とする説も。
※ 8 三代目古今亭志ん朝(1938年〜2001年)




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