三遊亭金兵衛さん―2


「悲惨な現実も笑いに変えてしまうのが、落語のすごいところです」
――金兵衛さんも、お生まれは押上ですか?
金兵衛 生まれたのは千葉県の八千代台です。小学校5年で成田に引っ越すまで住んでいました。大雨が降ると、すぐに川があふれて床上浸水が起きるところで、近所の友達には経済的に苦しい家庭の子もけっこういました。うちは床を少し高く建ててあったので、洪水になると、床上浸水したアパートの家族が避難してきて泊まっていくんです。そういう家族の夫婦喧嘩も目の当たりにしました。
 落語では「おまえさん、仕事行っておくれよ」なんて具合だけど、本物の喧嘩は亭主が奥さんの髪をつかんで引きずりまわし、奥さんは大声で泣きわめいたりしてね。こっちは子供だったから、怖かったですよ。江戸の長屋暮らしも、いい面もあったでしょうけど、実際はこんな様子だったんでしょうね。リアルに目にすると悲惨な状況も、笑いに変えてしまうのが落語のすごさだと思います。
 長距離トラックの運転手の家では、だんなの留守に奥さんが小学5年を頭に子供3人置いて逃げちゃってね。電気も水道も止められた家で子供たちが途方に暮れているのを近所の人が見かねて、父親が帰ってくるまで面倒を見ていたこともありました。すっかり忘れていたんだけど、落語を始めてから思い出すことがあるんですよ。
――都内5ヵ所で定例会を開催されていますね。
金兵衛 自宅の一角を改装して本格的な寄席を造ってしまった粋なお席亭さんがいたり、毎回、お店のスペースを高座のために提供してくださる世話人の方がいたり、多くの方のご厚意に支えていただいて、本当にありがたいと思います。世話人の皆さんも僕みたいな者のために、周りに頭下げてくれて。

三遊亭金兵衛

 お客さんのほうも毎回、足を運んでくださる方がいま すし、上野の鈴本演芸場の早朝寄席で聴いて、気に入ったからと、中野から東武練馬まで来てくれた方もいました。これは怠けることはできないな、という気持ちになります。プロですからギャラは多いに越したことはありませんが、たくさん頂いても、誰も落語なんか聴いていない立食パーティーの余興じゃ、どうしたってモチベーションは上がりませんよね。お席亭さんや主催者の方の心意気が演者の心を動かして、それがお客さんの心を動かすという連鎖反応は絶対あると思うんです。
――落語家になったことを後悔したことはないですか?
金兵衛 つらいと思うときはあるけど、落語をやめたいと思ったことはないですね。落語が好きだし、そもそもが「食えないから、おやめなさい」って師匠に言われたのに、「それでも」って弟子にしてもらったんですから。芸人だから商売として稼ぐことはもちろん大事なんですが、少し遠回りして苦労しても、自分のペースを守りながらきっちり勉強して、噺家として自分の芸を大きく育てていけるように、と思っています。

三遊亭金兵衛


profile
三遊亭金兵衛(さんゆうてい きんべえ)
本名:大橋岳登志。1975年9月21日、千葉県生まれ。98年6月、三遊亭小金馬に入門。2001年11月二つ目昇進。2013年9月、四代目三遊亭金朝を襲名し真打昇進。落語協会の定席のほか、都内各所をはじめ首都圏を中心に定期的に独演会も開催中。



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