二つ目さんインタビュー              三遊亭金兵衛さん―1

三遊亭金兵衛

高田馬場をはじめ、都内を中心に数多くの定例会を開いている三遊亭金兵衛さん。最近は都心から少し離れた地域寄席にも、電車を乗り継いで聴きに来る金兵衛ファンが増殖中です。二つ目の期待の星、金兵衛さんに押しかけインタビューしてきました。(三遊亭金朝師匠が二つ目時代の2007年10月のインタビューです)

「悲惨な現実も笑いに変えてしまうのが
落語のすごいところです」



――落語に興味を持ったきっかけは?
金兵衛 子供のころは親が厳しくて、夜9時以降はテレビを見せてもらえなかったんです。勉強させようって魂胆ですが、こっちも「そうはいくか」って、2階の勉強部屋に上がってラジオを聴いていました。落語の番組がけっこうあって、自然に聴くようになったんですが、当時はドリフターズやタケちゃんマンのほうが好きでしたね。落語の面白さがわかってきたのは高校生ぐらいからです。
 僕は3人兄妹の次男坊で、親から「自立さえすれば、何やってもいい」と言われていました。「それなら、高校は行かない」って言うと、大あわてで「おい、ちょっと待ってくれ」。高校を卒業すると、今度は「大学に行け」。行く気は全くなかったんですが、「どうしても」というので、作文書けば入れてくれるって大学に入学しました。
 そのころ、『天才バカボン』の作者の赤塚不二夫さんが「手塚治虫先生に“絵でも演劇でも音楽でも、一流のものにたくさん触れておきなさい”と勧められて、たくさん見た」と語っている記事を読んだんです。「おれもそうしよう」と映画、歌舞伎、寄席、美術館‥‥と手当たり次第に見て回り、一番はまっちゃったのが寄席でした。アルバイトしてお金がたまると、大学があった群馬から東武線で終点の浅草に行き、昼から夜の9時ごろまで浅草演芸ホールで高座を観る、そんな学生生活でしたね。「淀五郎」のような人情噺を聴いて、落語の奥の深さを感じたのも寄席に足を運びはじめたころです。
――落語に関心を持ったのは、ご両親の影響もあったんですか?
金兵衛 それはないですね。両親は特に落語が好
きってわけじゃなかったんで。でも、父は墨田区の押上の生まれです。僕も小さいときから親父の「べらんめえ調」の下町言葉を聞いて育ってきましたから、その点は非常に助かっています。
――落語家になろうと考えたのは、いつごろですか?
金兵衛 寄席通いばかりしていて、就職活動なんて、はがき一枚出していません。子供の時分から自分が正しいと思うことは相手が教師でもはっきり言うほうだから、もともと会社勤めは向かないと思っていました。そうかといって、噺家になろうとも全く考えていなかったんです。自分には落語なんて、できるわけがないと思っていましたから。卒業してとりあえず成田の実家に帰ると、地元の友人たちが飲みに誘ってくれるようになり、「そんなに好きなら、落語家になっちゃいなよ。絶対おまえはサラリーマンになれないんだから」と勧められ、師匠(三遊亭小金馬)に手紙を書いてお願いしたんです。入門が決まって、親父も驚いていましたけど、おふくろは泣きじゃくっていましたね。やはり堅い仕事に就いてほしかったんでしょう。→続き 三遊亭金兵衛

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