二つ目さんインタビュー              林家ぼたんさん―1

林家ぼたんさん
昨年から「笑点」のアシスタントでもお馴染みの林家ぼたんさん。勢いのあるキレのいい語り口で、ほかほかと鍋が湯気を立てる番屋、静まり返る真夜中のお寺の境内と、江戸の街の空気を現代まで見事に運んできてくれます。今後は新作にも挑戦したいというぼたんさん、飾らない率直なお人柄そのままに気負わず、そして力強く新しい風を吹かせて、これからの落語界を活気づけてくれそうです。(林家ぼたん師匠が二つ目時代の2009年1月のインタビューです)

「高座も打ち上げも、来た人みんなで明るく、楽しく―
これが林家一門のカラーです」



――理工系を専攻されて、なぜ落語家に?
ぼたん 中学のとき「これからはITの時代だ」と思って、工業高校の情報技術科へ進み、大学では生産工学を専攻しました。資格も取り、まじめに勉強していたんですが、デジタルの世界は進化が速すぎて、勉強すればするほど虚しさを感じるようになったんです。前からお笑いが好きだったので、落研(※1)に入り、「自分がやるべきものは、これだ!」と。老人ホームや病院でやってみると、自分も楽しいし、皆さんにも喜んでいただいて、この道に進むことに決めたんです。デジタルの最先端から、一番アナログなほうへ行ったわけですが、落語は自分の体ひとつでできる。そこが魅力ですよ。
――他の職業は考えませんでしたか?
ぼたん 親には「一度、就職してみてから考えたら」と勧められましたが、最初から腰掛け目的で就職するのは失礼ですから、就職活動はしませんでした。実家近くの病院や老人ホームで落語をしたり、祖母に聴かせたりと、日ごろの根回しも効いて、親も納得してくれました。
――では、ご家族の反対はなかったんですか。
ぼたん ないですね。決心したら早く入ったほうがいい世界ですから、卒業論文の発表会の翌日、スーツを着て新宿末広亭まで、うちの師匠(※2)に志願に行きました。
――即決で入門が決まったと聞きましたが。
ぼたん こんなにとんとん拍子にいくとは思いませんでした。断られて何回も行くもんだと思っていましたから。師匠に「大変だよ」とは言われましたが、2日後の一門の打ち上げで紹介してもらって、「明日から来なさい」と。親が反対しているとダメなので、普通は入門前に親との面談をするらしいんですが、それもなかっ
たですね。ちょうど姉弟子(※3)が二つ目に昇進して、前座がいなくなるときで、タイミングもよかったと思います。
――こん平師匠に入門した理由はなんですか?
ぼたん ”就職活動”としていろいろな一門を観たんですが、浅草演芸ホールで毎夏恒例の「住吉踊り」から、夜の部のトリのこぶ平師匠(※4)まで通しで観たのが、直接の決め手になりました。しゅう平師匠は宝塚の曲を歌い踊ってるし、錦平師匠のように古典落語をやっている人もいます。新作も古典もやりたいと思っていましたから、一門がこれだけバラエティー豊かなのはすごいし、それを許している師匠も偉い、この人に教えてもらいたいと思って決めたんです。
 師匠は「落語はうまい人に教わりなさい」と、稽古をつけてくれた落語は「豆屋」だけでしたが、その代わり自分の苦労話や売り込みの秘訣、お客さんとの接し方、楽屋での振る舞い方など、いろいろなことをたくさん教えていただきました。林家こん平に入門して、本当によかったと思います。→続き
林家ぼたん

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※1 日本大学経商法落語研究会。OBは柳家喬太郎、春風亭柳朝(6代目)、立川志らべほか。日大にはこのほか、芸術学部落語研究会、文理学部落語研究会がある。
※2 林家こん平。1943年新潟県生まれ。58年林家三平に入門。72年真打昇進。落語協会相談役。
※3 林家ひらり。2008年廃業。
※4 林家正蔵。1962年東京都生まれ。78年、父・三平に入門。三平死亡により、80年からこん平門下。87年真打昇進。2005年九代目林家正蔵を襲名。


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