林家ぼたんさん―2


「高座も打ち上げも、来た人みんなで明るく、楽しく――これが林家一門のカラーです」
――前座時代、大変だったことはありますか?
ぼたん よく「女性は大変でしょ」って言われますが、高校、大学は男子が圧倒的に多かったので、入門して「女性だから大変」と感じることは特になかったですね。
 先輩には今思えば、ずいぶん失礼なことを言ったり、やったりもしましたね。楽屋の2階にお茶を運ぶのは一番下の前座の仕事なのに、立前座(※5)の喬四郎兄さん(※6)が2階に上がるとき「兄さん、上行くんだったら、このお茶持っていってください」って。激ギレされてもおかしくないケースですが、「僕だからいいけど、他の人だったら怒られるよう」と諭されただけですみました。先輩の皆さんに優しくしていだたいて、ラッキーでした。
 一番苦労したのは、やはり「たくさん食べること」ですか。打ち上げやご馳走していただいた席で残すことはありえないので、残さず全部食べきるのが一番大変でした。鍛えれば食べられるようになるけど、やはり限界はありますからね。
――二つ目に昇進して、勉強会「倶楽部ぼたん」を立ち上げられました。
ぼたん 二つ目になって、何かプラスになることをしようと、三味線のお稽古を始め、自分の会も始めたんです。会場のソフィアザールサロン(※7)も自分でネットで探しました。クラシック用のホールで、落語に使ったことはなかったんですが、ご主人が若いころから落語がお好きだったこともあり、オーナーのご夫妻が快諾してくれました。
 打ち上げも「シューベルトの故事(※8)に倣って、懇親会をやりましょう」というご夫妻の勧めでやることにしました。最初、私自身は気が進まなかったんですが、一緒にご飯を食べておしゃべりする効用は、やはり侮りがたいものがありますね。そのうちにお客さん同士も仲良くなって、やってよかったと思います。楽しい飲み会になるまでに数年かかりましたから、辛抱強く続けていくことが大事ですね。
林家ぼたん ――確かに打ち上げで、自分は素人なのに、若手の噺家さんに「おまえの落語はあそこが違う、ここが違う」と言ったりするお客さんがいますね。
ぼたん 打ち上げで小言オンリーの方って結構いらっしゃいます。「もちろん努力もしますが、みんな志ん朝師匠(※9)や小三治師匠(※10)だったら、つまらないでしょ。いろんな人がいていいじゃないか」って反論します。相手がお客さんだからと我慢して、ずっと不愉快な気分を引っ張るより、その場ではっきり言うほうがいいと思うんですよね。
――私も落語会のお客さんに「二つ目の落語なんか聴く時間があったら、志ん朝のCDを聴け」と言われたことがあります。
ぼたん 営業妨害ですよね、アハハ。志ん朝師匠もそんなつもりでやってたわけじゃないのに。そんな風に言われると、若いお客さんだったら、来づらくなっちゃうかもしれませんね。「行く前にCD聴いて勉強しないとダメなんですか」って。
 もっとも、うちの一門の会には小言を言うような人はあまり来ませんけどね。伝統芸能がどうだとか、昔の名人がどう演じたとかじゃなくて、高座も打ち上げもみんなで明るく、楽しくというのが林家一門のカラーですから。そういうスタイルが好きでみんな集まってきていますしね。「わかる人だけわかる」落語じゃなくて、来た人全員に楽しんでいただくのがいい落語だと思うんですよ。皆さんに楽しんでいただけるなら、昔の名人そっくりにやらなくたっていいんですよ。→続き


←back next→


林家ぼたん

※5 寄席の楽屋に詰めている前座の中で最古参の前座。割(報酬)の取り扱いとネタ帖以外の仕事は後輩に指示を出し、寄席の進行を取り仕切る。
※6 柳家喬四郎。1972年静岡県生まれ。99年柳家さん喬に入門。前座名「さん坊」。2002年11月二つ目昇進、喬四郎に改名。
※7  JR山手線・駒込駅近くの一般宅の2階にあるミニコンサートホール。
※8 シューベルトは作曲の才能に恵まれたものの、ナイーブでパトロンをつかまえるのが苦手だったため、くつろいだ雰囲気の中で交友関係を広げられるようにと、友人たちがたびたびサロンコンサート(シューベルティアーデ)を開いて支援した。
※ 9 三代目古今亭志ん朝(1938年〜2001年)
※10 十代目柳家小三治。1939年生まれ。落語協会理事。




二つ目さんインタビュー目次
TOPへ戻る