――馬風師匠を選んだ理由は? 馬るこ 「お客さんに笑っていただこう」と客席に訴えかける力を一番強く感じたのが、うちの師匠でした。僕がピン芸人をやっていたときは「面白いおれを見ろ」というスタンスでしたから、「気持ちよく笑っていただく」という心を学びたいと思ったんです。 入門のお願いに行くと「運転免許がないとダメ」と断られたので、バイトで資金を貯めて免許を取り、改めて訪ねると、今度は門前払いで会ってもいただけません。弟子入りするなら、うちの師匠以外ないと思っていましたから、相当へこみましたね。たまたま知り合いになって相談に乗ってもらっていた獅堂兄さん(※6)に「(師匠の気分もさわやかになるような)いい天気の日に行け」とアドバイスされ、もう一度、誠心誠意お願いしたんです。新聞の配達先だった葵寿司さん(※7)が親代わりの保証人を引き受けてくださって、ようやく入門が叶いました。 ――入門してからは大変でした? 馬るこ 箸の上げ下ろしひとつから、とにかく厳しかったですね。師匠とおかみさんは僕を最後の弟子にするつもりで、特に厳しくしたようです。 あまりきつく怒られるので、入門1年後、「もう限界だ」と弟子部屋(※8)から脱走しました。数日後、荷物を片付けにこっそり戻ったら、おかみさんに見つかっちゃって。引き留めてくれましたが、本気で辞めるつもりだったので、その晩は葵寿司さんに泊めてもらい、いろいろ思うところがあって「やはり続けよう」と考え直したんです。 脱走前は「いい子」になろうと無理していました。気が利いて、落語があまり面白くない、 |
![]() 模範的な前座になろうと。楽屋では「よく気がつく」「元気がいい」「(噺が)つまらない」がいい前座の3条件なんです。あとは太鼓がうまいことですね。前座の本分は楽屋働きですから、高座に上がったときはお客さんを少しあたためる程度でちょうどよく、前座なのに落語が妙にうますぎたり、大爆笑をとりすぎたりすると、先輩方からお声がかからなくなってしまうんですよ。 出戻った後は開き直って「ハングル寿限無」をやったりしました。「バカヤロー、前座のやることじゃない」って、いろんな師匠に叱られましたけど。結果的に脱走は大きな転機になりました。 ――立川談笑さんがスペイン語の「蝦蟇の油」をやっていますね。 馬るこ 僕のはオマージュです(笑)。好きだからこそやるんです。テレビなどで演じる機会があれば、まず談笑師匠におうかがいを立てます。(※9)→続き |
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※6 1992年馬風に入門。前座名「鈴々舎馬頭」。95年二つ目昇進、「柳家風 |
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