――前座時代が長かったのですが、苦労はありましたか。 吉幸 ブラック師匠は文筆業など弟子がつかない仕事も多かったので、入門後は立川流の一門会に毎回、顔を出して楽屋のお手伝いをしていました。すると他の師匠や先輩方が声をかけてくださるようになり、すぐに高座の仕事も増えてきました。ブラック師匠もきちんと稽古をつけてくれましたから、苦労らしい苦労はなかったですね。入門前は一日中、怒鳴られたり、蹴飛ばされたりするような厳しい修業を想像していましたが、皆さん優しくて、そんなことも全然なかったし。 ――2005年に競馬の借金が原因でブラック師匠が立川流を自主退会(事実上の除名)しました。お弟子さんたちは身の振り方で悩んだと思うのですが。 吉幸 師匠は僕ら弟子に借金の話はしませんでしたが、(除名は)薄々とは感じていました。弟子は5人とも立川流に残って、他の師匠に拾ってもらいました。落語はブラック師匠についていっても続けられますが、そこで二つ目だ、真打だといっても誰も認めてくれません。今でもあんなに面白い人はいないと思っていますし、悩まないことはなかったけど、落語がやりたくて入門したんですから、結論は自ずと出ていました。他の弟子も同じ思いだったでしょう。 ――「倉庫の二階」の村田席亭とのトークショーなど、幅広く活躍されていますね。 吉幸 イベントや余興の仕事も好きですよ。司会は落語みたいに緊張しないし、盛り上げるのが得意ですから。失敗もありますけど。アテネ五輪(2004年)のとき、水泳の北島康介選手の地元の荒川区で、生中継を観ながら応援しようという区のイベントがありまして、司会に呼んでいただいたんです。夜中なのに荒川区内の大ホールに何百人も集まり、ものすごい熱気です。2個目の金メダルもかかっていますし、もっと盛り 上げよう |
![]() 「北島とかけて、オカマの性転換手術と解く」とやったんです。 「キン(金)が2つ取れるでしょーーっ!!」 あんなに盛り上がっていた会場が、一瞬にしてシーンとしてしまいまして。折悪しく、辛酸なめ子さんという変わったお名前の漫画家が会場に来ていて、『週刊文春』の連載コラムに書いちゃったんですね。僕の名前は出てなかったんですが、「これ、おまえだろ」と、兄弟子の志雲兄さん(立川)にばれてしまいました。 ――落語はそんなに緊張しますか? 吉幸 しますよ〜。高座に上がりたくないと思うくらい緊張するときもあります。「食えなくてもいい、この業界に身を置いていられれば」と思って入門しましたが、筋がいいと褒められたりすると、「おれ、いけるんじゃないか」と勘違いするわけです。入門3、4年目のころ、たいして緊張もせず、楽しくて仕方ない時期もありましたが、少し周りが見えてくると、やみくもにできなくなってきますからね。 ――最後に落語の魅力について一言、お願いします。 吉幸 とにかく寄席に行って聴いてみてください。面白い人がたくさん出ていますから! |
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本名:渡辺正美。1973年8月31日、千葉県勝浦市生まれ。97年10月快楽亭ブラックに入門。前座名「ブラ房」。05年ブラックの立川流退会により、立川談幸門下に移籍、吉幸に改名。07年7月に二つ目昇進。2015年4月、師匠・談幸とともに一門で落語芸術協会に移籍。 オフィシャルブログ→「トキメキ☆吉幸しばり!!」 |
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