二つ目さんインタビュー                立川吉幸さん―1

立川吉幸さん

昨年、入門10年目で二つ目に昇進した立川吉幸さん。昇進までの時間は長かったのですが、前座時代から実力は折り紙つきで、落語の定例会、トークショー、地方巡業と幅広く活躍中です。「おれの話の9割は他人の悪口」という吉幸さん。残り1割のお話をまとめてみました。


「寄席はすごいよ! 
面白い人がたくさん出ていますから」



――落語を聴き始めたのは、いつごろですか?
吉幸 子供のころテレビのお笑い番組が好きで、落語の番組もよく観ていたんですよ。親戚にも落語好きなおじさんがいて、小学校2、3年ごろからテープを借りて聴いていました。面白いと思ったのは痴楽師匠(柳亭)の「ラブレター」、金三師匠(柳家)の「成り金旅行」みたいな新作落語。同じテープに入っていた文朝師匠(桂)の「子ほめ」なんかは、当時はよくわかりませんでした。
――そのころから落語家を志していたんですか?
吉幸 そんなこと考えてませんよ、子供ですもん。いわゆるスポ根系の運動が嫌いだから、ごく幼少のころはタクシーの運転手になりたいと思っていました。プロレスラーに憧れた時期もありましたが、中学に入ってからは公務員か銀行員。ずっと座っていられるというイメージがあったんですね。
――噺家も高座に上がったら座りっぱなしですから、その点は初志を貫いていますね。初めて生の落語を聴いたのは?
吉幸 中学生のとき、親戚5、6人で浅草演芸ホールに行ったのが最初です。川柳師匠(川柳)が出ていて、子供心に「テレビに出ない人で、こんなに面白い人がいる!」って、衝撃でした。当時はテレビに出ている人が一流だと思っていましたから、「寄席ってすごい!」と。まだ前座だったきく姫師匠(林家)も出ていて、トリは扇橋師匠(入船亭)。演目はほとんど古典落語だったと思いますが、みんな面白かったですねえ。
 高校を卒業してアルバイトしていたころ、一人で寄席に行くようになりました。落語をやってみたいと本気で考えるようになったのは、談志師匠の落語を聴いて「かっこいい」と思ったのがきっかけです。
――吉幸さんは快楽亭ブラック師匠の一番弟子
になりました。
吉幸 ブラック師匠を初めて生で観たのは国立演芸場だったと思います。「面白いな、この人は」と、独演会に通い詰めるようになって、24歳のときに弟子入りをお願いしに行ったんです。
 浅草の駅から師匠の自宅へ向かう途中、幼いお子さんを連れた師匠と偶然すれちがってね、「あっ!」って、びっくりしちゃって、声をかけそびれちゃった。師匠の自宅マンションまで後をついて行ったんですが、びびっちゃって、どうしても訪ねていけない。気分を軽くしようと、映画館で『釣りバカ日誌』を観たら、ますます暗い気分になっちゃって。浅草に着いたのは午前10時ごろだから、「もう行かなきゃ、しょうがない」と夕方、ようやく腹をくくって、師匠の自宅のある階でマンションのエレベーターを降りると、ちょうど師匠が家から出てきたんです。そこで弟子にしてくださいとお願いすると、喫茶店で簡単な面接みたいな話をして、その場でOKが出ました。
 そのとき言われたのは、「おれもそんなに落語の仕事はないから、バイトもしていい。教えることは、ちゃんと教える」。そんな感じでしたね。師匠は真打になって5年ぐらい。それまでも志願者はいたようですが、家を訪ねて「弟子にしてください」と、きちんと挨拶したのは僕が初めてだったそうです。→続き
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