二つ目さんインタビュー               鈴々舎風車さん―1

二つ目の1年先輩で、大親友の三遊亭司さんの家へよく遊びに行くという風車さん。先日も司さん宅に泊まり、翌日は寄席へ直行することに。昼に用事があって一人で外出した司さんが帰宅すると、司さんのご家族がくつろぐリビングで、風車さんが落語の稽古をしていたそうです。「うまいね」と客席から声が上がる風車さんの落語には、マイペースでほのぼのとしたお人柄もにじみ出ています。(柳家三語楼師匠が二つ目時代の2008年6月のインタビューです)

「風貌がピッタリ!!と諸先輩方に勧められ、
 泥棒ネタと奮闘中です」

鈴々舎風車さん
――中学のころから、寄席がお好きだったそうですね。
風車 初めて行ったのは中学1年の正月、池袋演芸場です。正月なので落語、紙切り、漫才と、短い持ち時間でいろいろな芸人さんが出てきて、トリは小三治師匠(柳家)でした。「寄席って面白いな」と、中3のころには一人で浅草に通うようになっていました。
――寄席に行ったことが、落語に興味を持つきっかけですか?
風車 それ以前からテレビの演芸番組で落語を聴いて、興味はありました。それで母が正月興行に連れていってくれたんだと思います。
――当時から「将来は落語家に」と?
風車 思っていましたね。中学を卒業したら入門するつもりでしたが、親の猛反対に遭い、進学しました。高校でも本気で入門を考えたんですが、卒業直前に迷いが出て、進路を変えてしまったんです。建築の専門学校に進み、建設会社に就職して現場監督をしていました。
 仕事はきついし、人間関係も難しい職場で「仕事が面白くない」と感じる毎日でしたが、「食べていけるか」を考えると、入門の決心がつきませ 鈴々舎風車
ん。しかし、何もせずに「本当は落語家になりたかったのに」と、自分に言い訳しながら生きていくのは嫌ですからね。1年半ほどで会社を辞め、師匠に弟子入りをお願いしました。
――馬風師匠(鈴々舎)に志願した理由は?
風車 芸風はもちろんですが、師匠の著書『会長への道』(小学館)を読んで、器が大きく、面倒見がよさそうな人柄を感じたことが大きいですね。
――入門はすんなり決まりました?
風車  鈴本演芸場の前で、高座を終えて出てきた師匠に駆け寄って声をかけ、名刺を頂戴して後日、ご自宅にうかがいました。
 師匠のおかみさんが「落語家なんて不安定だし、修業も長い。やめたほうがいい」と話をして、師匠は横でうなずくだけ。ほとんどしゃべりません。今の若い師匠はわかりませんが、うちの師匠ぐらいの年代は、おかみさんがキーパースンなんです。おかみさんがOKなら弟子にするし、嫌だって言えば取らない。
 「絶対、勤め人のほうがいい」「いや、それでも」と、おかみさんとのやりとりが1、2時間続き、最後は熱意を汲んでいただいて、数日後にもう一度、母と訪問しました。おかみさんは母にも同じ話をしていましたが、「本人が決めたことですから」と母が言うと、「親御さんが承知なら」と入門を了承してくれました。ちょうど前座の弟子がいない時期で、タイミングもよかったかもしれません。
 3ヵ月ぐらいで前座になり、まず兄弟子に3席ほど習いました。うちの師匠は弟子に稽古をつけないので。
――どうして稽古をつけないんですか?
風車 その辺りの事情は『会長への道』にもありますが、先代の小さん師匠(柳家、5代目)

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